障害を問い直す きょうだいとして考えた3

この本によれば、「きょうだいは同世代の人よりも自己概念が有意に高」いそうです。

「自己概念」とは、なんでしょう?

goo辞典によると、「自分がどんな人間であるかということについていだいている考え」だそうです。

自覚はないですが、たしかに、「ふつうの家庭」とは違う家庭で暮らしていれば、おのずと周りとの違いや共通点を見出したりするのだろうと思います。

 

母親は逆に、障害児をもたない母親より自己概念が低いそうです。子どもに障害があると診断を受けたときに最も強い衝撃を受け(これはすぐに想像できますね)、節目ごとに悲しみ・怒り・不安を経験するとか。

親の立場となると、障害受容というのは、難しい作業なのかもしれません。

きょうだいとしても、わからない、どうして?ということはあるのですが、親にとってはそれ以上、なのでしょうか。

 

ところで、先ほどからきょうだいと母親のことばかりですね。

父親はどうなのでしょうか?

2011年出版ということを考えると、時代的なものもあるかもしれませんね。

もしくは、父親に関するデータが少なかったか、なかったか。

 

 多くの親は、障害があってもなくても、子どもには幸せになってほしいと願っている。しかし、世話や介助・見守りの必要がある発達障害者と親は、物理的に多くの時間を共有する時間を強いられる。親が、発達障害者への対応を優先せざるをえない環境が、きょうだいの目の前には広がっている。

 このような物理的状況に加え、「きょうだいは(障害がない)から恵まれている」という考えを、親が抱く場合、「障害者」ということ自体に、不憫や可哀想といったネガティブな感覚をもつ傾向が弱いきょうだいとの間に、より理解に隔たりが生まれる。両者の間で、きょうだいへの理解と、「障害」の意味がより歪むからである。そして、発達障害者を過保護に養育する親を受け入れられず、鬱積するきょうだいが少なくないことも、事実である(全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会編 二〇〇六)。

 

私の親の場合ですが、そこまで妹に対して過保護ということはなかったと思います。

親も、両方の祖父母も、妹のことを「障害があってかわいそうだ」という感じではなく、そのままの妹を大事にしてくれていました。そういう環境で育ったから、今の私がいるといっても過言ではありません。両親はもちろん、祖父母たちにとっても、二人目の子どももしくは孫が発達障害児だということを受け入れるのに、どれだけの気持ちの整理が必要だったでしょう。どんな話し合いがもたれていたのでしょう。

それでも、親にとっては大切な子、祖父母にとってはかわいい孫、そして私にとっては妹、なのです。

それでも、母の目の注ぎ具合の違いは正直感じていて、高校大学くらいのころは少し妹に嫉妬していたかもしれません。

時期やきっかけは忘れてしまったのですが、「妹のことばっかり気にして!」とメールか何かで母に文句を言ったことがありました。そのときの回答は「そんなことないよ」といった内容のもので、ひどく落胆したことを思い出します。

親にとって障害児を産み育てるなんてことはきっと想定外だったことで、進路などで自分の人生経験や私のときのパターンが生かせないことが多かったのだろうとは容易に想像できます。でもやはり、子どもとしては「私のことも見てよ」という気持ちもあったのです。

最終的に、「私の大学の入学式も高校のいろんなイベントにも来なかったんだから、大学の卒業式くらい来い!」と強制的に私の大学の卒業式に来てもらい、だいたいの気持ちは落ち着きました。母も多少はわかってたのかもしれませんね。