私は今、ある障害者福祉施設で働いています。そこでは支援者の顔をしています。
実家に帰れば軽度発達障害の妹がいます。そこでは家族の顔をしています。
兄弟に障害者がいる人のことを、ひらがなで「きょうだい」というそうです。
それを知ったのは、就職活動をしているときでした。
当時就職活動をしていながら、福祉関係の仕事に就くことについて「このままでいいのか?」と迷っていました。
妹に障害があると知った日から、「障害者に対する何かをしたい」と思っていました。
しかし自分のこの思いは、思い込みではないか、エゴではないか。
そんなもやもやした気持ちを共有できるような知り合いもなく、底のない闇に落ちたような感覚に陥っていたのを覚えています。
不安でしょうがなく、いろいろな言葉で検索して知ったのが、「きょうだい」もしくは「きょうだい児」という言葉でした。
その解説や、実際に「きょうだい」であることをオープンにしているsns上の方とのやりとりを通して、この感情は私だけではないのだと安心できました。このような話題は、友人知人、家族には話しにくいので、snsのような顔も本名もわからない関係がちょうどよかったです。
就職活動中も、そこで働く先輩に少しオープンにしてみれば、「実は私の兄も障害があって…」という話になることもありました。
私は私という存在として、この世界に入って良い。
そう思えました。だからこそ現在、障害者施設で働いています。
今の仕事をしていると、家族の未来の可能性を垣間見ている気分になることがあります。
利用者とのかかわりは大変ながら楽しいです。
けれど、妹との方が、ずっと楽しい。ちょっかいをかけたときの反応がかわいくて、実家へ帰るたびについいじってしまうのです。
なんだか最後は親ばかならぬ姉ばかになってしまいました。
「障害者の兄弟」という、少々異質なポジションを持っていることで、仕事でもプライベートでもなんともいえない気持ちになることもあるのですが、私だからできることはないだろうかと思っています。