はじめて英語に触れたのは、小学生の高学年のころだと記憶しています。
子供向けの英会話教室に、一瞬だけ通っていました。
なぜ通うことになったのか、あまりよく覚えていません。
英語の歌やそれを使ったダンスが面白かったことは、なんとなく覚えています。
しかし途中で先生が変わって楽しくなくなり、それで辞めました。
少しして、当時仲良くしていたクラスメイトに誘われ、某有名な塾で英語の勉強をするようになりました。その年齢にしては先の内容に取り組めたからか、後になって素敵なトロフィーを貰うほどのめりこみました。(そのトロフィーは今も手元にあります)
しかし中学生になったら部活動を優先したかったので、それもすぐに辞めました。
時がたち、高校生のころ、副担任だった英語の先生に誘われ、難関大を目指す英語講座のようなものに参加しました。難関大を目指せるレベルには程遠い子ばかりだったのですが、それでもその先生は熱心に教えてくださいました。
心が折れて泣きべそをかく私に「泣くほど悔しいと思えるならもっと伸びるよ」といってはげましてくださいました。志望大学のレベルを下げようかと思ったときは「それでいいのか」と怒ってくださったことも。
今思えば、相当貴重な機会だったと思っています。普段の授業では教わらないような、ハイレベルなことを教えてくださったので。
親の離婚もあり、家計的に塾に行くのが難しかった私にとって、あの講座はとても貴重でした。当時は目の前のことに夢中だったので意識していなかったのですが、学ぶことに対して、かなり貪欲だったのかもしれません。(理系科目はあきらめていましたが)
結局、私は難関大に行けませんでした。すべり止めとして先生におすすめされた大学には合格し、そこに通いました。この大学は、あの先生がいなかったら選択していなかった大学でした。最終的には今も連絡を取り合う友人と出会え、尊敬できる先生と出会え、あこがれていた資格を取ることができて今の職場で働くことができている。あの先生に会えていなかったら大学に行けていただろうか。そんなことをふと考えます。
大学で教養科目として英語に触れたあと、英語に接する機会はほとんどなくなりました。
今の職場では英語を使うことはありません。
きっと今、大学試験レベルの英語に取り組もうとしたらちんぷんかんぷんです。
そのことに、少し危機感を覚えています。
仕事で使わないならよくないか。そんな風にも思うのですが、どうしても、英語と仲良くなりたい。大学受験の時のように、長文を読めるくらいになりたい。ディズニー映画を字幕なしで見てみたい。いつかは海外旅行だってしてみたい。
単語帳や文法、英語で何か読んでみるといったことには取り組んでいますが、足りないのかもしれない。いいかげん英会話スクールを検討すべきなのかもしれない。高校のころのような貪欲さが足りてないかもしれない。
そんな風に思いつつ、仕事があるとなかなか時間が作れていないのが現状です。
けれど、英語話せるようになりたい。そんな風に思うのです。
以上が、私の英語遍歴です。
読むことは単語を調べつつなんとかなるとして、話したり聞いたりする力はほとんどないといっていいでしょう。書くのも、小学生でもわかる程度のものがやっとかも。
今すぐ英語をなんとかしなければならない状況ではないので、ひとまずのんびりやってるしだいです。
何かきっかけがあれば、のめりこめるのかも。そんな期待も抱きつつ。