揺れ動きながら、それでも仕事を続けるという働き方を肯定したい

2024年度がはじまりました。

相変わらず夜勤が待ち受けています。週1回くらい。週1なら大したことないじゃないかって思う人もいるかもしれませんね。でも、何年もやってみてください。飽きてきます。

 

今は異動に気持ちが傾いています。つい最近まで転職だって息巻いてたじゃないかって思われそうですね。私には、転職欲と異動欲が交互にくるのです。どっちかにしろって思いますよね。自分でもそう思う。

 

けど、なんだかんだ言いながら働いている人は世の中たくさんいるわけで。

なんだかんだ言いながら頑張ってる我々、褒められてもいいと思うんですよね。

文句も言いたいこともあるけど、人生仕事で染まり切ってるわけでなし。割り切って、たまに割り切れずにもやもやして。それでも、ちゃんと生きるための行動をしている。

それってすごいことだと思うのです。

 

人間なんだから気持ちに波があるなんてのは当たり前で、いつでもまっすぐになんていられない。頑張れるときは頑張って、頑張れないときはなるべく素直にふてくされて。そういう風にいたっていいじゃないかって思うのです。人間だもの。

 

自分の場合、転職したいと思ったのは何も会社自体が嫌になったわけでなくて、異動希望がなかなか通らないこと(仕事内容から「この人じゃないと」みたいになってしまっている。個人的にはあまりやりたくなかった内容が、やむなく続けたらこうなった、という、評価されても全然うれしく思えない事態)にむしゃくしゃしているってだけで。

だから、異動させてくれれば今の会社にいるつもりではあるのです。

今年が最後だぞ、と無言の決意を固めつつですが。

 

話が脱線したけど、そんな風に、ゆらゆらしながら仕事を続けているのです。

それを、あえて自画自賛してやろうって話。

 

2011.3.11を想う

「あの日」から、13年だそうだ。

 

あの日、当時私は高校生。妹は中学生だった。

あの日も、あの日以降も、ずっと関東某所に住んでいて、地震当時の様子を語る資格はないのかもしれない。けれど、思い出せるものは、書き留めておこうと思う。

 

あの日のあの時間、私は高校の音楽室で、クラスの皆と合唱祭の練習(設立間もない高校だったから、いろいろゆっくりだった)、妹は家で留守番、母は妹の中学の保護者会へ行っていた。

 

合唱練習中、ピアノを弾いていた子が、「揺れてる」と言った。

次第に強くなる揺れ。時々ある地震だろう。そのうち収まるだろう。そう思っていた。

けれどますます激しくなる揺れ。ただ事ではない。何かが違う。きっと、誰もがそう思った。

女子たちは集まってしゃがみこむ。私も、よくわからないまま、紙切れ数枚の楽譜を頭に被せてしゃがんでみる。男子たちは、そばにあった楽譜や本が入っている金属の棚を、倒れないように押さえていた。ちょっとかっこよかった。

このまま天井が壊れてしまったら、床が壊れてしまったら。蛍光灯が落ちてきたら。

そう思っている間に、少しずつ揺れは収まった。

あまりの揺れに動けなくなって泣いてしまう子、不安を直視しないように、へらへらとして見せる子。さまざまだった。ひとまず教室に戻って、待機することになった。

当時はガラケーワンセグが見れる子は、何が起きたのか、友達と共有していた。

ちらっと見せてもらったが、頭が理解を拒否していたのか、あまりよくわからない。

先生から簡単に何か話をされ、帰れる子は安全に気をつけて帰り、電車通学等で、帰れない事情がある子はそのまま泊まることになった。

私は、バス通学だったので、最悪歩いて帰ろう。そう思って帰ることにした。幸い、バスが動いていたので、乗車した。

学校の近くはそうでもなかったが、家の付近の信号機は、赤も青も示していなかった。

帰宅すると、停電した我が家に、妹と母がいた。「メール見てない?」と母に問われ、携帯を見る。メール受信はない。試しに、再受信すると、母のメールが届いた。どうやらメール関係は混乱しているらしいとわかった。

 

母から聞いた話では、揺れていた当時、妹は一人で留守番中。あまりの揺れに怖くなって外に出たところ、ちょうど隣の部屋に住むおばあさんと会い、しばらく一緒にいてくれたらしい。着の身着のまま飛び出したそうで、「靴とコートを持ってきなさい」とも、すすめてくれていたとか。その後、同じアパートに住む、私の小中の同級生のお母さんとも合流。

母は、妹の中学の保護者会中。地震の対応については、校長先生より、妹の通う特別支援学級の先生たちの方が頼りになったとか。おそらく保護者会もそこそこに解散して、自転車で帰ったのだろう。そして、隣のおばあさんと私の小中の同級生のお母さんと一緒にいる妹と合流。

あの瞬間、隣のおばあさんがいなかったら、妹はどうなっていただろう。いったんパニックになると周りが見えなくなるから、想像するとぞっとする。

けれど、頼りになる大人がいたから、妹はある程度は落ち着けたのではないか、と思う。

 

電気は止まっていたが、ガスと水は無事だったので、鍋でご飯を炊いて、簡単に夕食をとる。テーブルの中央にはたしかろうそく。それから、地震の被害や避難情報をしゃべり続けるラジオ。

夜の何時だったか、ろうそくや懐中電灯がなければ真っ暗なある時間に、電気が復旧。

さっとお風呂を済ませて、この日はパジャマではなく、いつ何が起きてもいいように、洋服で寝た。

 

翌朝、高校の部活などの活動は中止。母も、職場に連絡を取り、「子供たちが怖がってて」と休みを取った。

テレビではずっと津波地震の様子、時々ACのCMばかりが流れていた。

つまらないから近所のツタヤで何か借りて見ようか、という話になったが、臨時休業になっていた。

 

原発の様子について知ったのはいつのタイミングだったろう?地震発生から数日以内、休校中に暇を持て余して、何かのノートに「チェルノブイリにならないでほしい」と書きなぐっていた記憶はあるので、結構早い時期だったかもしれない。

 

だんだん、いつもの日常に戻り、テレビでは「頑張ろう、ニッポン」のCMか何かをよく見かけた。「そうだね!」と思う反面、「頑張らなきゃダメ?」とも思う自分がいた。

 

3月11日、この日になると、いつもこんなことを思い出す。

今回の3月11日は、仕事だった。グループホームの、つけっぱなしのテレビのチャンネルはNHK。様々な東日本大震災関連の特集が流れていた。

ここまでに至るのに、干支を一周する時間を要したのだ。それでも、まだ足りないのだ。ついつい仕事の手を止めて、見入ってしまった。

14時46分、無線放送が流れた。職場の一人が、静かに黙とうの体勢を取ったのを見た。

私も、静かに祈ることにした。

あの地震で亡くなった人が、遺された人が、平安であるように。

いまだ解決の見えない原発関連が、解決するように。

これ以上の悲劇が起きないように。

転職するって話。

異動が叶いそうもないことが判明したので、転職しようと思っています。

大嫌いな夜勤とはいいかげん今年こそさよならしたい。そのためには、異動できるように徐々に動くことも考えたけれど、心がそれを拒絶している。「今年こそ今年こそって、毎回言ってる。今すぐここから出ていきたい。上司に言ったって毎回無駄だもの」と。

だからこそ、職場にはもちろん内緒で、転職活動中です。

今はどんなところがあるんだろう?と情報収集を少ししているだけで、履歴書やスーツをどうしたらいいのか、給料変えずにいけるのか、など具体的なことはまだですが、こうして動き出すと、心が決まるというか、意識がそっちに行きますね。もう今勤めている会社でどうにかうまくやろうと思わなくなっています。「どうせ辞めるし!」と最近思い始めています。

ただ、転職先が決まるまでは今の職場にいなければいけないわけで。その間、どう自分の気持ちをコントロールしていこうか。意識を転職に向けながら、「今の部署で引き続きなんとか頑張る人」をどう演じて行けばいいのか。

来年度は来年度で、きっと「今年度の目標ややりたいことは?」なんて聞かれる。「もう用はないんで」なんて言えない。どう取り繕ってやろうか。

 

転職した先がいい会社であってほしい。

もう金輪際、夜勤なんてやりたくない。

明日の夜勤、なくならないだろうか。

明日のすらばっくれてしまいたいくらい参っている。上司はそんなこと、知りもしないだろうな。なんて、前日夜からすでに憂鬱。

 

どうせ辞めるし、省エネで過ごしていこう。なんて考えているところです。

ただいま、です

お久しぶりです。

このブログを待っている方がいるのか、わかりませんが、とにかく、ただいまです。

気づいたら秋になっていました。

その間に、いろいろなことがありました。

職場の体制が変化したり、電子ピアノ購入に動いたり、今後のキャリアについて考えてみたり……。

自分の興味に素直になったり、自分は本当はどうしたいのか考えている日々です。

またしても「転職」を考え始める波が来ました。でも今回は「副業」という選択肢も気になっています。職場的にはNGなのですが(古い価値観だなーなんてぼやきたくなりつつ)、こっそりやればいいかな?なんて。

せっかくなら好きなことや気になることでやってみたい。でも得意なことでやった方がいいような?自分の得意なことって?

自分のことを自分がいちばん理解していないかもしれません。

でも、なんとなく、今の職場はなんだかんだで好きですし、シフトがどうにかなってくれればそれでいいと感じています。部署も様々あるので、「異動」という切符を使って視野を広げたい。夜勤生活を続けるつもりはもうないので、今後もやらされるのであれば、いっそ「転職」カードを出してしまうこともやぶさかではない……。と、なかなか心が決まらない状態です。

体制を上がなんとかすることはもちろん、自分も何かアクションが必要なのだろう、と妙に冷静です。自分の大事にしたい軸が最近急にはっきりしたので、それを重視して、なんとかできるといいなあ、なんて考えています。

そして、またこのブログを続けてみたいと考え中です。

読書記録になるか、思考整理になるか、どうなるかわかりませんが、気の向くままに書いてみようと思います。

職場のwifiが使えなくなったことでの変化

最近、職場のwifiが私物のスマホと繋げられなくなりました。

どうやらwifi関係のトラブルがあったらしく、その結果、私物スマホとの接続が禁止になったそうです。

 

最初は少し不便だなと感じていましたが、しばらくして、これはこれでありかもしれない、と思うようになりました。

 

snsとの距離感がちょうどいい

昼休みや夜勤中の落ち着いたタイミングで、ついついsnsを見がちでした。うっかり時間が経ってしまっていることもしばしばで、よくないなと感じていました。

ですが、職場のwifiが使えなくなってからは、まったくと言っていいほど見なくなりました。wifiがつながらないことで、通信料金がかかってしまうという考えが生まれ、それが抑止力になっているようです。かまわず開く人も多いと思いますが、私はそれであまり開かなくなりました。たまにどうしても気になるときはありますが、数分で終了します。

そしてそれが心地いいです。

本来なら見えなくて問題ないもの。それを気にしないでいられるのが、かなり快適です。

さらには、wifiが使える我が家であっても、あまりsnsを見すぎないようになりました。これは意外な発見でした。でもこれも、ちょうどいい。

 

やるべきことに集中できる

snsを見るタイミングがなくなったことで、職場でやるべき作業に集中しやすくなりました。夜勤中も、メールやlineの確認はしてしまいますが、それでも、作業や仮眠への切り替えがしやすくなったように思います。

この傾向は家でも影響していて、本来やりたかったことに集中する工夫ができてきているような気がします。

 

以上2点が、職場でのwifi制限による変化です。主にsnsとの付き合い方ががらりと変わりました。結果的に、個人的には心地よくなって、よかったのかなと思います。

 

予想外なきっかけでしたが、どうにかしたい習慣が改善したので、感謝です。

あこがれのおと

暑い日が続いていますが、体調いかがでしょうか。

私は、夏バテになりつつも、なんとかやっています。

最近引っ越しました。

前の部屋より少し広い部屋です。

ふとした時に、「あのとき引っ越すと決めてよかったな」とうれしくなります。

今は、部屋に大きな空間があります。

そこに電子ピアノを置こうと思っています。

色は黒、もしくは茶。白もいいかと悩みましたが、色あせや汚れのことを考えると、黒や茶の方がいいかな。メーカーはどこがいいのか。あれも弾けるようになりたい。これもあこがれる。そんなことを、毎日考えています。

ずっとピアノに憧れていました。

思い返せば、幼稚園のころからかもしれません。

小学生のころ、どんなきっかけかは忘れましたが、少しだけエレクトーンを習っていましたが、やはりどうしてもピアノが好きでした。自分はエレクトーン、だけど先生はピアノを弾くこともある。当時はうまく言い表せず、あることをきっかけにだんだん練習をさぼりはじめるという行動に出てしまったのですが、今思えば、彼女にたいして「ズルい」という思いがあったように思います。私だってピアノ弾きたいのに、と。

中学で吹奏楽部でクラリネットを吹こうと、高校・大学で友人の影響でボカロを聞こうと、やはりどうしてもあこがれているのが、ピアノでした。

ピアノの「弾いてみた」系の動画をついつい見ている日々。

仕事の状況が落ち着いたら、もう少ししたら、いつかは。そう思っていました。

けれど、もう我慢ならなくなり、今回電子ピアノを置けるような部屋を探し、引っ越しました。

今はまだ、置いてません。けれど、近いうちに、迎え入れる予定です。

長年の夢をひとつ、実現しようと思います。

待つんじゃない、動くんだ

ピアノを弾けるようになりたい。

ずっと抱えている夢です。

異動して、休みが安定するようになったら。余裕ができたら。

以前はそんな風に考えていました。

けれど、「コロナ」といういつ終息するかもわからない、いまだに警戒が必要な病が流行るようになってから、その考えは少しずつ変化してきました。

人生は待ってくれない。

そう思ってしまったら、こんなところで指をくわえているのが馬鹿らしく思えてきました。

そうだ、いっそこちらから動こう。

動く者にしか、このチャンスは向いてこないのかもしれない。

そう思えば、仕事の状況や季節を待つなんてことはできなくて、こんな暑い時期に不動産屋に行き、部屋を探しました。

電子ピアノを置ける広さの部屋。ヘッドフォンをつけていれば大丈夫、という不動産屋の担当の方の言葉を信じて。

今は荷物をまとめたり、片づけたりとばたばたしています。

けれど、楽しいです。

ピアノを迎えたら何を弾いてみようか。教室はどうしようか。

台所には、お花を飾る余裕ができそう。

せっかくお風呂とトイレが別々になるのなら、なにかおしゃれな入浴剤を取り入れてみたい。

そんな空想が広がります。

夢は夢のままにしたくない。

ちょっとばかり、そんなことを考えています。

好きなことを後回しにしないで、ちゃんと自分の生活を送るのだ。